相続手続支援センター 創設者
米田貴虎(よねだたかとら)
実は私も、祖母を亡くしました。
お葬式の日のことを、昨日のように思い出します。
その日は、何年かに一度の大雪の日でした。
90歳の誕生日に、この世を去った祖母。
小さい時から、わたしはおばあちゃん子で、厳しい両親だったせいか、唯一家族の中で無条件に私の味方になってくれていました。
そんな祖母の葬儀の後、父からの指示で相続の手続きを行うことになりました。市役所に戸籍を取りにいってもなかなか揃わず、計5回も行きました。
年金の手続きをするために、社会保険事務所に行った際は、混雑していたせいもあり約2時間待たされた挙句、必要書類が揃っていないとの事で、3回も行くはめになりました。
銀行で預金の解約をしようと思っても、貯金をする時は簡単にできたにもかかわらず、解約するのは至難の業でした。
結局、よくわからない説明をする窓口の女性と1時間ほどやり取りをして、その後、ようやく出てこられた課長さんと押し問答。
書類が揃っていないことや、印鑑が足りないなどあれこれ言われ、窓口でもう少しで口論になりそうになりながら、ようやく貯金を下ろせたのは、銀行に4回通ってからでした。手続きを始めて既に3カ月が経っていました。
しかし、これだけではありませんでした。
私の乗っていた自動車の名義が祖母名義であったため、陸運局で名義変更の手続き。
これも3回通いました。
自宅の名義変更は法務局に行って聞いてみたものの、さすがに自分では無理だと思い、近くの司法書士会に電話をして、司法書士さんを紹介してもらい、全く知らない人に手続きをお願いしました。費用も終わるまで幾らかかるか分からず不安でしたが、仕方がありませんでした。
さらに公共料金の引き落とし口座の変更、クレジットカードの解約、百貨店の会員証の解約、医療保険の請求、火災保険の名義変更など、全ての手続きは28種類ありました。
暗中模索で手続きを進めましたが、本当にこれでいいのか?これで全て終わったのか?漏れはないのか?と、いつも不安でいっぱいでした。
父からは、「世話をかけてすまんの。で、いつ終わるんだ?」と、感謝の言葉か催促の言葉か分からない言葉を掛けられながら、月日だけが過
ようやく全ての手続きが終わったのは、葬儀の日から7カ月が過ぎていました。仕事で昼間は全く動くことが出来ない父に代わり、比較的時間が自由になる孫の私が手続きを行いましたが、この時切に思ったのは、誰か相談できる人はいないのか?ということでした。
親戚の叔父や叔母に聞いてみても、自分の時はこうだったということしか教えてもらえず、少しだけ気分が紛れただけでした。
相続のプロに相談することができて、指針やアドバイスだけしてもらっても、ずいぶん違ったと思います。できれば、全部お願いしたかったと感じたのは、全ての手続きが終わってからでした。引越しの6倍ぐらい大変だなと思ったのが、偽らざる実感でした。
そんな経験をし、後に友人のお父様の相続を手伝いしたことが、相続手続支援センターを設立するきっかけとなりました。今では6,000件の相談を行い、あの時とは比べ物にならないほど知識と経験を備えた私に、一度ご相談ください。
私のように苦労する人が、ひとりでも少なくなるよう、精一杯アドバイスさせていただきます。
相続手続支援センター
創設者 米田貴虎
相続手続支援センター兵庫 支部長
山口浩司(やまぐちこうじ)
今でも忘れません、あの時のことを。
私が某メーカー企業に勤めていた時のことでした。
日々、取引先の会社を営業訪問する中、お子さんがいらっしゃらなかったせいか我が子のように私を可愛がってくださった自営業の社長夫婦がいました。
夫婦仲がとても良く、私にとって理想の夫婦像でした。
社長はバイタリティに溢れ、見るからに元気そのものの方で、休みの日にはよく海へ魚釣りに出かけられていました。
私も社長から何度も誘われて一緒に魚釣りに行きました。初心者だった私に、釣り方のアドバイスや時にはサポートもしていただき、本当に助かりました。
それ以来、今も変わらず私の趣味が魚釣りであることは、言うまでもなくその社長のお陰です。
社長との付き合いが3年目を迎えた春、それは突然の出来事でした。社長が心不全で倒れ、そのまま帰らぬ人となりました。
残された社長の奥様がご主人の死の悲しみに暮れる暇もなく、一人で様々な手続きをされたことを後になって聞きました。
奥様一人で事業をやっていけないため、廃業するにあたって、まず商品の在庫処分から始め、そのための業者を1件1件電話帳で調べて電話をすることの繰り返しだったそうです。
その上、管轄税務署や県税事務所への廃業届出書の提出も何とか期限内に行ったとのことでした。
自宅兼店舗の名義変更に関しては、法務局に何度も足を運び、1日3往復したこともあったそうです。法務局の担当の方に近くの司法書士に手続きを依頼するように何度も勧められましたが、結局ご自身でされ、終えるのに約5カ月間掛かったとのことでした。
生命保険の手続きに関しては、手続き用紙の送付を依頼するだけで、約4時間掛かったそうです。電話(フリーダイヤル)がなかなか繋がらず保留状態が永遠と続き、おまけにようやく繋がったのはいいが、担当部署が違うとのことで何度も違う部署に回され、その度毎に電話を掛け直さないといけないという、正にアリ地獄に陥った・・・と苦笑されていました。
また、全ての手続きに戸籍の原本を提出しなければならないと思っていたため、5種類もの戸籍を7通ずつ取り寄せていたそうです。
殆どの手続きは写しで対応してもらえるため、取り過ぎていた分の費用が無駄だったというのは後になって知った・・・と嘆いておられました。
あらゆる手続きに労力と時間を費やし大変だったという話を私に終えた後、奥様がため息交じりの小さな声で「疲れた」とつぶやかれたことを昨日のことのように思い出されます。
あの時、困っていた奥様に何もしてあげられず悔しい思いをした体験。
あの時、社長に魚の釣り方のアドバイスやサポートをしてもらって助かった体験を胸に、今は、私が「相続の手続きで困っている方々を一人でも多く助けたい」という思いで日々邁進しております。
相続でお困りになられた際には、私達プロにまずはご相談ください。
精一杯アドバイスやサポートをさせていただきます。
相続手続支援センター
上級相続手続カウンセラー 山口浩司
相続手続支援センター兵庫
楯川剛史(たてかわごうし)
実は私も、父を亡くしました。
お葬式の日のことを、昨日のように思い出します。
夏の暑い日の朝、10カ月の闘病生活の末、57歳の若さでこの世を去りました。
父は、根っからの仕事人間で、家族のみんなが「入院してまで仕事しなくてもいいやん」と言っても、聞く耳を持たず、病気になってからも病室でパソコンに向かって仕事をしている姿を今でも覚えています。
そんな父の葬儀の後、母と共同で相続の手続きを行うことになりました。
私たちは、知り合いに相続や法律に長けている人がいなかったため、本やインターネットで調べながら、進めていきました。
役所に戸籍を取りに行くのにも一苦労。死亡記載のある戸籍だけを取れば良いと、甘く考えていましたが、なんと父の出生から死亡までの連続した戸籍が必要であることを聞き、役所を何往復もする結果となりました。
年金の手続きは、役所で出来ると思い込んでいたのですが、年金事務所に行かなければならないことを聞き、車を走らせるも、書類不足でまた後日合計3回も行く羽目になりました。
銀行で預金の解約をしようとしましたが、貯金をする時は簡単にできたにもかかわらず、
解約するのは至難の業でした。
何度も窓口の職員さんとやり取りをして、書類が揃っていないことや、印鑑が足りないなどあれこれ言われ、ようやく預金の相続手続きが終わりました。
しかし、これだけではありませんでした。
私たち家族が乗っていた自動車の名義が父名義であったため、陸運局で名義変更の手続き。
さらに自宅不動産の手続きのために法務局に行き、相続登記の手続き。
一番大変だったのが、父が働いていた会社とのやりとりです。
57歳の現役で亡くなったため、会社関係の手続きもする必要がありました。
会社側も、父の手続をしながら、日常の業務をしなければならないということで、連絡が繋がらなかったり書類の到着が遅くなったりと、会社関係の手続きが終わるまでにかなりの日数がかかりました。
さらに公共料金の引き落とし口座の変更、クレジットカードの解約、医療保険の請求、火災保険の名義変更など、手続きは合計で60種類もありました。
ようやく全ての手続きが終わったのは、葬儀の日から8カ月が過ぎていました。
私がこの経験から学んだことは、焦らずに「自分でできることは何があるのか、落ち着いて考える」ということです。
なぜかというと、父の葬儀の後、銀行の預金を下ろさないといけない、保険の請求をしないという「やるべきこと」に追われ、「冷静に考える」ということをしていませんでした。
すべて終わった後、率直に思ったことは、『誰か身近に相談できる人はいなかったのか?』
ということでした。
専門家の人に相談して、アドバイスを受けたり、知識を得るだけでも、手続きの大変さは大幅に少なくなっていたと思います。
そんな経験をしたことから、「身近にいて相談できる人になりたい」と思ったことが、この相続手続支援センターで相談員をすることになった、原体験となっています。
今では年間100件以上の相談を行い、あの時とは比べ物にならないほど知識と経験を備えた私に、一度ご相談ください。
私のように苦労する人が、ひとりでも少なくなるよう、精一杯アドバイスさせていただきます。
相続手続支援センター
上級相続手続カウンセラー 楯川剛史
相続手続支援センター兵庫 豊岡支店長
西村大輔(にしむらだいすけ)
実は私の前職は、銀行マンでした。
20年以上前になりますが、大学を卒業して、金融機関に就職しました。
当時はバブル崩壊後で、金融機関も債権処理に追われていました。
私はというと、融資担当として朝から深夜まで働き詰めでした。
当時は私の方からお客様のところへ出向くことは少なく、金融機関の融資担当ブースでのお客様対応がメインでした。
ある時、預金窓口に50歳位の女性のお客様が来店されました。
きれいな顔立ちの方でしたが派手ではなく、薄化粧で髪の毛は以前染めたような形跡ありましたが白髪交じり。一見疲れ切っているといった感じのお客様でした。
少し気になったので、聞き耳を立てて様子をうかがいました。
どうもお父様が亡くなり、相続手続で預金解約に来られたようです。
父親が亡くなったことを告げたあと、窓口の女性から手続の仕方の説明を受け、必要な書類を受取りその日は帰られました。
数日後、そのお客様は再度来店されました。
戸籍と金融機関専用の手続用紙を持参されていますが、用紙は白紙。
戸籍は、全てが揃っておらず、「そうですか。分かりました。また来ます。」と言ってその日も帰られました。
後日、再び窓口に来られました。
戸籍は揃っていましたが、解約手続用紙が白紙。
そこでまた、窓口の女性と何やら話をした後書類を持ち、落胆した様子で帰られました。
3時に銀行窓口が閉まった後、「何回も来ているあのお客さんはどうしたの?」と窓口の女性に尋ねました。
すると「実は、相続人はあの方と、お兄様のみ。でもそのお兄様が10年ほど前から音信不通で連絡が取れない。どこでどうしているかも分からないらしく、署名と印鑑証明がもらえない。」と言うのです。
「以前に母も亡くしているので、私が葬儀を取行い、主人に無理を言って葬儀費用も立替えました。母の残したものは、この通帳に入っているわずかな預金のみ。解約して現金を受け取ったとしても葬儀費用に満たないほどなので何とかできないか。」という押し問答だったようです。
その後、その女性のお客様は見かけませんでした。
しばらくして私は他の支店へ転勤となりましたので、その女性のお客様がどうなったのかは分かりません。
金融機関はマニュアル通りに処理するので、お客様の諸事情なんて関係ありません。
あの女性に、誰か気軽に相談できてアドバイスがもらえる相続のプロがいれば、何度も金融機関に足を運んでも結果的に何もできず、落胆して帰らなければならないなんてことはなかったことでしょう。
今でも当時の支店近辺を車で通りすぎると、その女性のことが気になります。
あれから随分経ちますが、金融機関の立場から離れた現在、私は相続手続支援センターの相談員をしています。
もしもあの時、その女性が今の私に相談してくれたら、短期間で全てを解決して、預金を引き出すことが出来ると思います。
あのような女性の方が一人でも少なくなるよう、持っている知識と経験を総動員して、全力でサポートさせて頂きます。
相続手続支援センター
上級相続手続カウンセラー 西村大輔