10月に入って間もないある日、相談者のA子さんとそのご家族が事務所へお越しになりました。
「広島の伯母さんが亡くなり、姪である自分しか相続人がいない。手続き先が遠方で、今後どう進めてよいのか分からないので手助けしてほしい」というご依頼でした。
伯母さんの最後の本籍地は、市が発行した火葬埋葬許可証から明らかです。まずはそこに記載されていた広島市の区役所へ戸籍の郵送請求を行うべく、必要書類や定額小為替などを準備して目的地へ向けて発送しました。しかし、これがこの後続く長い戸籍収集の始まりとなろうとは、想像もしていませんでした。
本件の戸籍収集はすべてが郵送でのやりとりであるうえに、伯母さんの家族が何度も転籍を繰り返していたので、なかなか思うように揃いません。さらに、相続人が兄弟姉妹の代襲相続人であるA子さんしかいないことを証明するためには、気の遠くなるような戸籍収集を必要としました。
結果的に、広島県内各市区町村役場への郵送請求を13回、丸2ヶ月の期間をかけて、ようやくすべてを揃えることができたのです。
同じ家族が広島県内でどうしてこんなにも転籍を繰り返すのか。住民票と違って、戸籍を移すには相応の理由があったのだと想像できますが、その思いまではとうてい理解できません。しかし、ある戸籍を見て、私は胸が締め付けられるような思いをしました。
伯母さんの配偶者の戸籍には「ニューギニア北方海上ニ於テ戦死」の記載がありました。
昭和16年に結婚してわずか2年後のことです。この時伯母さんは29歳。
どのような思いでこの報をお聞きになったのでしょうか。また、伯母さんの母の戸籍には「昭和20年8月6日午前9時広島市××町 番地不詳ニ於テ死亡」、異父妹(注;伯母さんの母は離婚後、再婚相手との間に娘を1人もうけている)の戸籍には、母の後を追うかのように「昭和20年8月9日午後6時広島市××町 番地不詳ニ於テ死亡」との記載がありました。
この時異父妹はわずか12歳だったのです。戦争によって、何回も家族構成が変わっていたことが、転籍を繰り返す原因でした。
戦争についてはこれまでにも数多く学ぶ機会がありましたが、これほどまでに戦争を身近に感じたことはありませんでした。
多くの映像や文章よりも戸籍が語る事実の方が、私にはその悲惨な状況をリアルに感じ取れたのです。
この一家が戦禍を避けるために転籍を繰り返してきたのではないかと想像すると、平和な世の中で生きていられる我が身のありがたさを、戸籍収集という作業を通じて感じることができました。